皮膚病と私
    九州大学大学院皮膚科学教授/古江 増隆

田舎に育った私は往復3時間かけて小学校に徒歩通学をしていた。苦に思った覚えがないので、通学路の山道や杜の遊びがとても楽しかったのだと思う。グミや野いちごを食べ歩いたし、赤痢になると脅されながら桑の実をかじっていた。当然、回虫の薬のお世話にもなった。冬には道路の氷を片端から踏み潰していたし、竹スキーでよく遊んだ。
つる草で輪を作ってトノサマガエルの足をひっかけてカエル釣りに興じた時期があった。カエルをいじめるとイボができると大人から聞かされていたが、案の定大小のイボが指に多発し、いじめたカエルの仕返しにとても恐怖を覚えた。両親はいたって忙しく、自然にイボなんか治るからといわれてほっておかれた。もちろん田舎には皮膚科医などいなかった(そういえば、その頃には液体窒素療法があったのだろうか?)ので、治療のしようがなかったのである。
1年間たってもどんどん増えるので、次第に腹が立ってきた。そこで鉛筆でほじってつぶすことにした。もちろん少しは血がでるが、あまり痛くもなく、鉛筆の芯に殺菌効果があるのか感染することもなかった。つぶすのになれてきた頃、なんとなくイボが痒くてたまらなくなり、歯でイボをコシコシボロボロ噛みとるようになった。授業中にはつばをはけないので、噛み取ったイボを飲み込んでいた。いつのまにかイボはきれいに治ってしまった。
子供の私は、イボを食べて治したと信じ込み、カエル(大自然)の呪縛に自力で立ち向かい勝利したと内心とても晴れやかな気持ちになった。実際には、イボウイルスに対する免疫が発動し、細胞障害性T細胞がイボを攻撃するため、炎症が引き起こされ、痒みを伴いながら自然消退する免疫反応であることを、皮膚科医になってはじめて知った。
皮膚科に入局して、N先生やI先生のイボ専門外来で薫陶を受けたが、イボには勝てるという子供の頃の自信は、自分自身はイボに勝てたけど、イボに勝てない人もいるんだという認識に変わった。しかしながら、子供の頃の体験が忘れられず、なかなか治らない患者さんがいると、「イボなんか鉛筆でつぶして食べちゃったら」と教授になった今でもついつい口に出しそうになる。
中学生になりサッカー部に入った。男子校で当時は「いんきんたむし」がはやっていた。友達がたむしになるのに、なんで自分はならないんだろうと残念に思っていた頃、ようやく自分も股が痒くなってきた。ついに大人の仲間入りをしたと一端はとても喜んだ。
しかし、その後どんどん病変は拡大し、夏休みに入る頃には背中から胸、足首まで痒くなってきた。今から思うと全身の重症の白癬症である。両親が私の体を見て目を丸くしたのを覚えている。田舎は温泉街でいろいろな薬湯がある。さっそく、硫黄泉に毎日通うことになった。すると、夏休みが終る頃にはすっかりきれいになった。
その頃、たむしはカビが原因なんて知るよしもない。風呂に入りながら、どんな虫が出てくるのかじっと病変部を観察していた記憶がある。病気が治ってきているのに、なんで虫が体から出てこないんだろうと真剣に悩んだ。たむしが治って本当に爽快な夏休みだったが、虫を見れなかったことをとても後悔していた。今では、この虫を見るのを商売としている。
古江 増隆 (ふるえ・ますたか)
1980年 東京大学医学部卒業・皮膚科入局
1986~88年   米国National Institutes of Health(皮膚科部門)に留学
1988年   東京大学皮膚科講師
1992年   山梨医科大学皮膚科助教授
1995年   東京大学皮膚科助教授
1997年   九州大学皮膚科教授
1995年   九州大学医学部附属病院 副医院長併任 現在に至る
専門
アレルギー、皮膚癌
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