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| 私は既に25年以上も精神科医として漢方世界に触れてきましたが、未だに分かりきれない神秘さと治療手段としての漢方の優しさに心を奪われています。特に、日本漢方が発展するにあたって日本の文化的背景が強く関わっていることに気づいたことが、自分なりには大きな出来事でした。以来、日本漢方が特に主張する随証治療の観点から精神科漢方を集約していくと、大きくは七つの証に限定されると思えるようになりました。今回は、この日本漢方の特質と精神科七大証について私的エッセンスとして私論を述べたいと思います。 |
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| 1. 日本漢方の成立とその文化的背景 |
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中国の中医学が現在も理論を発展充実させる方向に進んでいるのに、日本の漢方は理論を排し、古典に準じて「随証治療」を言い、学の立場に立たず術の立場に拘るには、日本文化の伝統的な宿命と深い関係があると思う。その日本文化の伝統的宿命とは否定的表現と純粋への希求である。
否定的表現とは、なきことによってその存在がはっきりする意識の性質を利用して、否定形にしてその存在を明哲にする表現である。日本の表現は大事なものほど否定し、否定されたものは結果として省略される。いきおい表現は小さくなる。盆栽の小樹が大樹として、果ては森林風景として拡大していく力が日本全ての表現に共通する性質である。
日本的な否定と省略は偶然的、付加的なものばかりか、基本的、必然的なものまでできるだけ削去して、形の純粋を求める。当然、科学としては成立しなくなるが、「芸術的形体では、現れているものは部分である。即ち全体を周囲とする部分の形というものは、芸術の形である。科学の形では、現れていないものは全てないものである。現れているものだけがあるものである。現れていない周囲などない」(金原省吾)の表現にも明らかなように、病者という存在は既に芸術的形体であるので日本漢方が学の立場をとらず術の立場に立ったことはむしろ当然の帰結であろう。 |
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| 2. 「随証治療」 |
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2000年前の張仲景著『傷寒論』に漢方治療の原則として「証に随いて之を治す」の言葉が残されており、現代日本に引き継がれている。この証は当然病者の中に存在するのであるが、薬方にもこんな病状に効いたという経験の積み重ねからその薬の証が既に「傷寒論」の時代から確定していた。
現在の漢方治療はこの病者の証を発見し薬方の証と合わせる作業で、この作業がぴったり合うと素晴らしい効果が得られて驚かされることが多いが、逆に少しでもずれると全く手応えがなく、患者も医師もがっかりしてしまうことがある。漢方の勉強は効いたという手応えの積み重ねによって初めて得られるもので知的、学問的には得られにくい。
さて、精神科領域でよくみられる最小表現としての証をみてみると、主なものは、上衡、裏急、心下痞、胸脇苦満、脈沈微、口渇、痰飲の7つに過ぎない。これらは半ば身体に属し、半ば精神に属してその両者を包含している。 |
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| 1)上衡の証 |
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上衡とは下腹部や上腹部から気が突き上げてきて、胸が圧迫されたり、動悸がしたり、拍動性の頭痛がしたり、顔が上気したりするもので桂枝湯類、特に桂枝加竜骨牡蠣湯が奏効する。
ある51歳の男性は、不安が強く、イライラして、血が顔や頭に上ってポーッと上気すると訴える。胃から上がってくると言う。そこで、桂枝加竜骨牡蠣湯7.5gを投与したところ、上衡は1週で速やかに消失した。 |
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| 2)裏急の証 |
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裏急とは腹痛、平滑筋や横紋筋の攣縮を指す言葉で、腹診上では両腹直筋が二本棒のようにつっぱっている様をいう。建中湯類、特に小建中湯が奏効する。
ある16歳高校2年生の女子は体がだるく、食もほそく、腹痛などあれこれ訴え不機嫌で学校も欠席がちになった。虚弱で裏急と判断し、小建中湯を投与したところ徐々に元気になり、1〜2カ月で機嫌もよく学校に行きだした。その後、腹痛などを訴えて学校を欠席する小学生に小建中湯を投与すると、そのうち元気になって学校に行きだす経験を度々した。 |
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| 3)心下痞の証 |
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心下痞とは、心下が痞えると訴えるもので、触診すると心下部がつきたての餅の様に軟らかいものを言う。三黄瀉心湯や黄連湯、黄連解毒湯など黄連を主とする方剤が良く奏効する。黄連は「心中煩して心下痞」という心が煩わしい状態を前提としているため精神科では特に熱証のものに対して使用頻度が高い。
ある45歳の躁鬱病の男性が6カ月前から躁状態を呈して得意先とトラブルを起こし上司と家族の説得で当院を受診した。赤ら顔で筋肉質、血圧は 150/94。結果的にリチウム400mg、トリプタノール20mg、黄連解毒湯5gの併用で軽い躁が1回、軽いうつが2回繰り返した後、躁鬱両病相が消失した。以来約10年両病相とも再発しない。 |
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| 4)胸脇苦満の証 |
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胸脇苦満とは、季肋部が緊張しているものをいい、柴胡剤が奏功する。精神科的には四逆散、柴胡加竜骨牡蠣湯、柴胡桂枝乾姜湯が多用される。さらに加味逍遙散や抑肝散、抑肝散加陳皮半夏まで柴胡剤として理解すると柴胡剤の適応範囲は広い。
ある身も心もぼろぼろに疲れ果てた50歳の男性は、イライラ、肩こり、疲れが取れないと訴え、診察してみると両胸脇苦満が強いので、四逆散を投与したところ、1週間もしない内に肩こりがみるみる軽快して、気分の焦りが落ち着き、夜もぐっすり眠れるようになった。 |
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| 5)脉沈微の証 |
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脈沈微とは文字的には脈が沈んで触れにくく微細との意であるが、実際に診察して脈が沈微と言うよりは、脈沈微を引き起こす背景、即ちぼんやりと意欲がなく動きが少ない状態を象徴的に表現したものとわたし的に理解している。附子が有効。
ある遷延性うつ病の50歳の男性は、無呼吸・いびきで生命保険に入れて貰えず、苦労してダイエットのあげく、10Kgの減量に成功したが、同時に気力・体力共に失い、半年間うつ病として治療を受けたが一向によくない。目がかすんだりぴくぴくする、イライラして考える能力が低下した、この1週は尿も出にくい、と訴える。脈は沈んで、下腹部に力がないので、八味地黄丸(炮附子2g)(煎剤)を投与したところ、1週後には気分的に楽になり、イライラも目のぴくぴくも尿の出にくさも軽減した。3カ月後ほとんど良くなり、体重は5〜6Kg肥えた。 |
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| 6)口渇の証 |
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昔は、熱病で脱水を起こし口渇するものに石膏剤を投与したが、現代の我々はそれ以外に抗精神病薬の副作用としての口渇に石膏剤即ち白虎加人参湯を用いている。 |
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| 7)痰飲の証 (証的概念) |
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痰飲とは体内の余分な水分を指し、証ではないが古くから「怪病は痰飲として治療せよ」という言葉がある程で、漢方病理的には重要な概念である。
ある心因性喘息の50歳の男性会社員は、転勤で福岡に赴任。その頃から不安感と共に喘息様に喉をヒュ−ヒュ−いわせる症状が出現した。そこで、半夏厚朴湯7.5gを試してみようと思い、セレナール(10)3T と併用したところ2カ月でみるみる喘息様ヒュ−ヒュ−は軽快して、患者さんも私も周囲も皆仰天する著効ぶりであった。 |
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| 3. 終わりに |
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| 以上、私の小さな漢方世界について症例を中心に述べましたが、日本漢方臨床の立場からは「作品を通して、作者の経験が鑑賞者のうちに再生産されるというのでなければ芸術の意味はない」(桑原武夫「第二芸術」)の作品という言葉を治験と読み替え、なかなか難事ですが優れた治験を書く努力を続ける必要があると考える次第です。 |
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