漢方薬の100年後
    千葉大学大学院薬学研究院教授/矢野 眞吾

ある高名な漢方研究者が講演会で述べられたことであるが、「漢方薬は少なくとも2千年以上にわたり、あまり形を変えずに現在に至っている。一方、西洋薬はこれまで300年程度しか治療薬としての歴史がない。これから100年経ったとき、現在使われている西洋薬の中でどんなものが残っているであろうか? 恐らく、漢方薬はすべて残っているであろう」と。
確かに漢方薬は東洋医学体系の組み立ての中にあり、今後100年経っても方剤の基本形は変わることはあるまい。一方、西洋薬は、薬効や副作用の面から良いものが生まれれば新しい薬物に置き換わってゆく。これでは、 100年後になお使われている西洋薬を予想するのは容易なことではない。
浅学を承知でこれに挑んでみると、先ずステロイド剤は残っていると思われる。ステロイド剤の添付文書には副作用の発現に関する事項は極めて多いが、適応となる疾患や症状の数も他の薬物の比ではない。ステロイドの化学構造—活性相関の研究は一通り終了し、すでに四半世紀が経過している。
一方、100年後にも高血圧症の患者さんは存在すると思われるが、どんな薬を飲んでいるであろうか? 高血圧症は、今でもいろいろな薬物により高度なコントロールが可能となっている。その中でもジヒドロピリジン系のアムロジピンはいろいろな意味でバランスの良い薬物であり、存続する可能性は高い。しかし今後、治験症例を対象として大規模解析が行われた際、患者さんのライフ・スパンを真に延長できたかの解析にも持ち堪えられるかどうか一抹の不安がある。
漢方薬の100年後を考えてみよう。漢方薬が民間療法や代替治療の一つとしてではなく、正当な医療として残るには、EBM を備える必要がある。これをクリアーできないと、日本では医薬品再審査制度により医薬品として存続できなくなる可能性がある。一方、漢方方剤による独特な随証療法はこれまでの医学・薬学の研究レベルでは到底解明できるものではなかった。
もちろん、漢方方剤の薬効解析は生命科学の進歩とともに少しずつではあるが前進を重ねてきた。例えば、漢方薬独特の治療効果の一つに駆お血作用がある。この作用の解明には血管内皮のプロスタグランジン(PGs)やNO(ナイトリックオキサイド)の役割が解明されねばならなかった。また、漢方体系の本質である「証」の解明にはヒトゲノムが解読され、遺伝子チップを利用することによって、初めて「個の薬物治療」が解明されよう。現在やっとその研究の途に着いたばかりである。しかし、この方面の研究は飛躍的に進むので、これからの100年は十分な検討期間であると思われる。
ここで最後に、やはり漢方薬は100年後には消える運命にあることを予言しなければならない。地球温暖化と環境汚染、さらには緑地の砂漠化により、漢方医療体系を支えてきた三百とも四百とも言われる生薬の資源枯渇である。重要な生薬が欠けることにでもなれば、その存続は不可能と思われる。そうならないよう人類の叡智を祈るばかりである。
矢野 眞吾 (やの・しんご)
1965年3月 東京大学薬学部卒業
1970年3月   東京大学大学院薬学研究科博士課程修了(薬学博士)
1970年4月   千葉大学薬学部講師
1975年8月   米国・ニューヨーク医科大学留学(1976年10月まで)
1980年11月   千葉大学薬学部薬効・安全性学講座助教授
1997年4月   千葉大学大学院薬学研究科教授(大学院講座担当)
2001年4月   千葉大学大学院・薬学研究院・薬物治療学研究室に配置替え 現在に至る
専門領域
薬効解析学、消化器薬理、天然物・漢方薬の薬効解析
学会活動
日本薬学会、日本薬理学会、日本臨床薬理学会、日本生薬学会、
和漢医薬学会、日本実験潰瘍学会、日本医薬品情報学会
社会活動
厚生省中央審議会臨時委員(1983年~1999年)
千葉県薬事審議会委員(2000年~現在)
(財)医薬情報担当者教育センター・教育研修委員会委員(2003年7月~現在)
(財)千葉県産業振興センター・高機能性食品開発事業化研究会会員(2003年9月~現在)
主な著書
薬剤師のための漢方(共著;日本フィルコン;東京;2001)
Integrated Essentials 薬理学(共著;南江堂;東京;2002)
漢方薬理学(共著;南山堂;東京;1997)
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