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| 平成14年4月5日の産経新聞朝刊に興味深い画像とその解説記事が出ていた。奈良県の飛鳥京跡から漢方薬の処方内容が書かれた木簡が出土したというのである。 |
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| 新聞にカラー印刷で紹介されたその木簡には、筆墨による西州続命湯(せいしゅう、ぞくめいとう)という字が浮かんで見えた。また表には、麻黄、石膏、裏面には、當帰、乾薑などという文字が判読できるということが記事に書かれていた。これらはいずれも漢方治療で用いられる生薬の名称である。 |
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| 同名で内容が少々異なる処方もあるが、おそらくこれは現在でも脳卒中などに時々用いられる『続命湯』という漢方薬の処方箋であろう。この薬は2、3世紀の漢代の書物にすでに掲載されており、筆者も年に一、二回処方することがある。 |
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| 記事によれば、この木簡が用いられたのは7世紀の後半ということであり、処方箋として薬を調合する際の指示書として使われたものらしい。素人目にみても書かれた文字は美的なものではなく、日常的な実用の具であったことをうかがわせる。当時の日本ですでに、基本的な処方内容に変更を加えず、創方の意図を尊重した薬方運用がなされていたらしいこともうかがえて興味深い。角がすり切れているところから見て繰り返し用いられたらしく、使用に堪えられなくなったので廃棄されたものだろう。医博士の診断により、この木簡をささげ持った医生が薬室で調剤した薬を煎じて患者に服用させる光景が目に見えるようではないか。 |
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| これによりわかることは、西暦650年から700年までの飛鳥京で、いまに続く本格的な漢方治療が実際に行われていたということである。7世紀後半のわが国の医学事情はほとんど知られておらず、701年に大宝律令が作られて医疾令が定められても、そこに書かれているものは中国の法制をそのまま引き写したもので実態がなかったなどという医史学者の言説がまかり通って、そこに潜む自国の歴史への冷淡さに慄然としたものだ。筆者は1800年前の古典の記述をたよりに、現代医学で対処困難な疾病に漢方治療を行う毎日であるが、はるか昔にも同じ薬で治療が行われていたという事実を、まことに簡明直截に明らかにしてくれたことに心の底から感激した。この木簡はわが国の医学史に新たな歴史を刻む発見といっても過言でない。 |
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| 首都飛鳥京でこの木簡を手に経験を積んだ若き医生が、その後に官命を奉じてはるか地方の国衙に赴きその医術を実践するようになる、などという想像の翼を広げるのも楽しい。 |
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| 時代が下って17世紀の江戸時代になると、中国発の伝統医学に対してさまざまな視点より批判が高まって新たな生薬治療の体系が模索されるようになった。日本化された中国伝統医学を当時江戸の社会に浸透しつつあったオランダ医学(蘭方)に対して漢方と呼ぶようになり、ここに21世紀に連なる日本漢方医学が誕生することになるのである。 |
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