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| 本年(2006)4月施行の第15改正日本薬局方に、葛根湯、加味逍遥散、苓桂朮甘湯、補中益気湯、大黄甘草湯および柴苓湯の漢方処方6方剤が収載された。今後も追加されていくということで、現代医療における漢方薬の有用性が再評価されたことは大変意義深いことである。 |
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| いまや多くの医療機関で漢方治療が取り入れられているが、そこで使われている漢方薬は、ほとんどがインスタントコーヒーのように工場で生産されたエキス製剤である。もともとの煎じ薬とは形態が異なるものの、その効果は煎じ薬と同様で遜色がないとされている。 |
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| 保険収載のエキス製剤が初めて出現したのは昭和42(1967)年のことで、方剤としては葛根湯、五苓散、当帰芍薬散、十味敗毒湯の4種類の製剤であった。当時は専門家が使用する薬剤として一部の医家に用いられるだけであったが、昭和51(1976)年に40数処方が保険で処方できるようになったのをきっかけに多くの臨床医家が治療に用いるようになった。 |
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| エキス製剤はそもそもいつごろ出現したのだろうか。面倒な煎じ薬に代わる簡便で有効な製剤を要望する声ははるか昔からあったであろうが、その製法の開発は必ずしも容易でなかった。ひとつには生薬には糖質が多く含まれ、扱いやすい粉末とするのが簡単ではなかったことがある。 |
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| わが国で最初にエキス剤が作られたのは、第二次世界大戦中の昭和18(1943)年のことであった。製造したのは国立の東亜治療学研究所で、初代所長の板倉武博士は漢方薬が治療に有効であることを何とか実証したいと考え、臨床研究を企画した。しかしそこには壁が存在した。煎じ薬であると、煎じ上がった薬物が化学的にいつも均一であることは期待しがたい。そこで同一の組成であるエキス剤を作製して臨床研究を実施しようとしたのである。翌年の昭和19年にかけてエキス剤が製造され一部は臨床投与まで行われたというが、昭和20年の終戦で板倉所長の壮図はむなしく潰えてしまった。 |
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| 平成13(2001)年に日本東洋医学会は漢方薬にクリニカル・エビデンスが存在する確証を得るために EBM(evidence-based medicine)委員会を設けて、漢方薬の臨床研究報告の収集と評価を開始した。これは真に板倉博士の計画した漢方薬の臨床研究をおよそ60年の時を経て公的に総括しようとする歴史的な役割を果たすことでもあった。 |
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| 昭和51年に多数のエキス製剤が保険薬価基準へ収載されて、大病院や大学病院に所属する西洋医学各科の専門家により多くの臨床研究が実施された。これには製薬会社の多大の努力があったものと思われるが、昭和61(1986)年から平成16(2004)年までの間で、メタアナリシス以外ではもっとも信頼性が高い結果が得られるとされるランダム化比較試験による臨床研究は100報以上を数える。 |
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| しかし、これらの臨床研究は、西洋医学の側からは、漢方薬のような主成分が不明の薬を用いた臨床研究は意味がないとして無視されたものであった。一方、漢方専門の立場からは、漢方薬の適用条件(証とも呼ぶ)に配慮しない臨床研究は全く参考にならないなどとされて、同様に無視され放置されていたのであった。 |
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| 2001年以来の日本東洋医学会の作業結果は、2002年9月の中間報告、ついで2005年9月の最終報告として公開された。これによって、漢方医学にも多くのクリニカル・エビデンスが存在するということをわが国の医療関係者と行政当局が認識することになり、また大学での医学教育に漢方医学が取り込まれるきっかけにもなり、漢方医学を志す若い医学生、医師が臨床研究をより推進することができるようになった。さらには、薬学教育においても薬学生、薬剤師が医薬品としての漢方薬を学ぶことが求められるようになった。 |
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| 漢方医学の発展のそこに見えるのは板倉博士を始めとする多くの先人たちのたゆまぬ努力と先見の明である。 |
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