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| 私は三十余年、海上自衛隊に奉職し、その過半は職域医療の研究・治療・教育機関である潜水医学実験隊で勤務しました。潜水病・潜函病・突発性難聴の高気圧酸素再圧治療に漢方薬を併用し卓効を得たのですが、漢方に理解ある上司は少なく、疎まれた存在でしたので、誰も希望しない艦船や遠隔地の医療機関に積極的に志願しました。その際、漢方薬使用を条件にしても中央では何も文句が言えません。 |
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虫垂炎を、初めて艦船内で漢方治療を行ったのは昭和50年17次南極観測隊を砕氷艦(通称 南極観測船)“ふじ”で昭和基地に送り、年が明け、前年度の16次観測隊を収容、帰路、最初の寄港地で観測隊は下船、“ふじ”乗組員だけでインド洋を回航中でした。
本航海は、予定していた外科系の医師3名が出港直前急病になり、代打指名を受けたのが横須賀から東京へ回航の前日で、南氷洋は暴風圏通過動揺が激しいと聞いて、虫垂炎発症に備え、「大黄牡丹皮湯」と「腸廱湯」の生薬各5包は自費で入手したのですが、出港後4ヶ月を過ぎると冷蔵庫に密封していても「桃仁」から油が出てカビが生え変質、「腸廱湯」3包のみ何とか使えそうで艦内で煎じ内服させたところ、3日で完治、動揺中の艦内で開腹手術を覚悟していた患者は、シンガポールで大いに豪遊、開腹しないでよかった。
2度目は、昭和55年RIMPAC '80 環太平洋5ヶ国海軍演習に参加のため横須賀からハワイへ回航中二番艦から、虫垂炎らしき患者発生という信号が入り、ヘリコプターで往診すると確かに虫垂炎である。この頃は、「大黄牡丹皮湯」はエキス剤が生産されていた。健保使用量は、1日7.5gであるが無視。初日20g、翌日・翌々日は各10gの内服で完治した。 |
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その後昭和57〜60年の間、瀬戸内海の小島(海軍兵学校のあった江田島 現在は幹部候補生学校・術科学校がある)で、極めて小規模の病院長に任命されたが、医師は院長1名、前任者の専攻特技は生化学、その前は衛生学、小児科、内科で手術室は数年間使ったことがない。虫垂炎は外部に送院していた。そこで、手術室を整備し、外眼部の麦粒腫・霰粒腫・睫毛内反といった小手術でも手術件数は1件である。虫垂炎は開腹せず漢方薬(主として「大黄牡丹皮湯」、ほかに「腸廱湯」「柴胡桂枝湯」)で治療した。
その年の暮れに虫垂炎が3例連続して発症したときはパニック寸前になったが、3例とも「大黄牡丹皮湯」を初日に20〜25g、以後漸減して3日で完治、患者は年末休暇に間に合い、学校は補習や次期編入せずにすみ、病院は年末年始の当直員を最少限にでき、現地は万々歳でしたが、中央からは真面目に手術していると思っていたのに、「騙したな」と叱責されました。それは勝手な誤解というものです。 |
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平成元年、南米方面の練習艦隊に乗艦、虫垂炎が2例発症しましたが、海面状況の荒れているときには「大黄牡丹皮湯」で治療しましたが、若い医官がどうしても艦内手術を経験したいというので、海面状況が静かなとき1例虫垂切除術を実施しました。
翌年、青森県下北半島の大湊病院長に任命されたが、外科医がそろっていたので虫垂炎を漢方で治療する機会はなかった。 |
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虫垂炎は漢方で治療すると手術侵襲がなくかつ短期間で安価(「大黄牡丹皮湯」の薬価は1g15円)で治療でき、患者側のみならず、政府・厚労省には今後際限なく膨張する医療費の節減になる。しかし、保険医療では虫垂炎は「大黄牡丹皮湯」の適応疾患ではなく、1日の使用量に制限がある。健康保険は出来高払いであるから開腹手術料は1日約6,000点で、その上、入院料が加算されるとどうしても開腹手術になる。近年、各医学会で専門医の資格認定には、手術件数が問われる。
現状のままでは虫垂炎の漢方治療には将来の夢が持てず、なにか宝の持ち腐れのような気がしてならない。 |
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