漢方との出会い
    昭和大学横浜市北部病院麻酔科 教授/世良田 和幸

私と漢方の出会いは、ペインクリニック外来にようやく出るのを許可された頃で、今から25年前のことである。その当時のペインクリニックはまだ創成期に近く、「すべての痛みは神経ブロック療法で取れるのではないか?」というくらいの勢いのある時期であったし、私が神経ブロック療法のすばらしさと怖さを知った時期でもあった。西洋医学の最先端をいく治療法と自負していたが、そんな中で、痛みに苦しむ患者に神経ブロック治療を行ってもなかなか良くならないこともあった。
今でも同じだが、そんな患者の多くは、いろいろな医療施設でさまざまな治療法を行ってきており、ようやくペインクリニック外来にたどり着いた方々が多かった。治療に反応しないと分かると自然に患者の足は遠のくものだが、熱心に通ってくる患者に、「もうここでの治療法はない。」と告げる勇気が自分にあるのであろうかと自問自答していた時期に、東洋医学に自然に目が行くようになった。
上司に鍼や漢方の話を持っていくと、にべもなく「明日から、髭を生やして、羽織、袴を穿いてこい!」と叱責されてしまった。それでもめげず、薬価収載されて間もない漢方薬のエキス剤を少しずつ処方するようになった。大学病院であったが漢方薬は院内薬局に置いてなく、当時としては珍しい院外処方をしなくてはならなかった。当時、ほとんど使用されていない院外処方箋を探してきて、病院前の薬局に漢方薬のエキス剤をいくつか入れてもらい、まず、冷えやお血に対する漢方薬処方を始め、当帰芍薬散や桂枝茯苓丸などを用いて少しずつ手応えを感じていた。そのうちに上司も諦めたようである。
漢方の様々な教科書を買い漁り、未だ少なかった講演会を遠くても聞きに行き、漢方の知識を少しずつ蓄積していった暗中模索の時代であった。漢方に対する情報もほとんど無かったため、当時既にあった高名な先生の勉強会も知らず、井戸の中の蛙状態で、今思うとよく漢方処方をしていたものだとつくづく思う。若さと、そして痛みに苦しむ患者を何とかしてあげたい、その一心であったような気がする。
結果的には今まで、特定の先生についたことはなく漢方の基礎の勉強は今でも少し物足りなくは思っているが、多くの先生方との知己を得、様々な薫陶を経て実践漢方治療を行っている。漢方治療の手応えは十分に感じており、痛みに対する漢方治療が私にとってのライフワークになりそうである。しかし、漢方の鎮痛薬を求めて様々な治療を行ってきたが、未だに痛みは克服できていない。今後は、生薬を含めた漢方薬で痛みを取り除ける日が来ることを夢見て、さらに研鑽を積んでいきたいと思っている。
世良田 和幸 (せらだ・かずゆき)
1976年4月 昭和大学医学部卒業
1980年3月   昭和大学大学院医学研究科卒業
1980年4月   昭和大学医学部麻酔学教室助手
1983年4月   浜松聖隷三方原病院 麻酔科医長
1985年4月   昭和大学藤が丘病院麻酔科専任講師
1996年7月   昭和大学藤が丘病院麻酔科助教授
2001年4月   昭和大学横浜市北部病院麻酔科科長(助教授)
2002年2月   昭和大学横浜市北部病院麻酔科教授 現在に至る
学会・役職等
日本麻酔科学会 専門医、代議員
INDEX
TOPWhat's 帝國製薬製品情報会社情報採用情報医療関係者のみなさまニュースリリースサイトマップ
Copyright (C) 2008 Teikoku Seiyaku co.,ltd. All Rights Reserved.