尺脈有根
    福岡大学病院東洋医学診療部客員教授/宮本 康嗣

難経の第十八難(1)において記載されているように、脈の左右・寸関尺は五行論に基づいて五臓との関連を持っており、腎については尺脈が重要であることは否定しようがありません。しかしながら、中医理論では五臓との関連は無視されることもあり、山田は著書(2)の中で、尺脈にはたった一行だけ触れ、平脈の特徴の一つとして【尺脈有根:尺部で沈取しても有力(これを「根がある」という)】と述べています。平脈、すなわち健康な脈では尺脈は有力である、ということであり、素問においては、その脈要精微論(3)に左右の尺中を沈めてみて脈がないときは腎気の弱り、と記載されていますが、この点に着目して、腎気の弱りから来る症状(とくに腎虚に基づく尿症状)を尺脈だけから予測できるかどうかを検証したのが今回の話です。
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ある地域に、高齢者だけの健康を志向する『元気サロン』なるグループがあり、そのメンバー33名にお願いして集まっていただき、 筆者が全員の脈を取り、尺脈について、脈診の結果で2つのグループに分けました。そして、各グループに質問をし、(1)夜間尿2回以上あり、(2)昼でも近くて困るくらい、(3)尿の出が悪い(切れが悪い)のいずれか、あるいはすべての症状があるかどうかを尋ねました。
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脈は、筆者が対象者すべてに対して左右の脈をとり、とくに尺脈について、沈取した際の強さを以下の基準に従って(右、左)の脈を、例えば(+、±)などと記録したものです。
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尺脈を沈取した際に感じた感覚とその評価を表にすると以下のようになります。(表1)
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表1
著者が感じた感覚 評価
触れる (+)
触れるがやや弱い (+〜±)
触れるが弱い (±〜+)
かすかに触れる (±)
かすかに触れるが弱い (±〜−)
消え入るくらいにかすか (−〜±)
触れない (-)
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表の7段階で左右の尺脈を評価し、『かすかに触れる』を基準として左右の合計でプラス成分が多ければ全体としてプラス、少なければ全体としてマイナスと評価することにしました。対象の訴えを尋ねる前にまず、脈診のみを行い、これによりマイナスと判定したグループをA群、プラスと判定したグループをB群とし、それぞれのグループについて上記の質問により、脈から症状あり(なし)、または症状が多い(少ない)人の割合を求めました。
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症状の有無を尋ねた結果は、尺脈が弱い群では、尿症状を有する率は83%であり、尺脈が触れる群は尿症状なしの率が74%でした。(表2)
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表2
  グループA グループB
  脈から症状あり
または多いと予測
脈から症状なし
または少ないと予測
  ありの回答 83% なしの回答 74%
男女比 6:12 3:12
年齢 74.7±9.2 73.6±8.3
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対象である地域の『元気サロン』のメンバーは高齢でありながら、定期的に集まって体操やウォーキング、グラウンドゴルフなどを積極的に実践しており、このようなメンバーなら尺脈有根の人が多いのではないか、と考え、脈実験に協力してもらったものです。
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脈は、筆者の基準で左右合わせた合計が触れるか、弱いか、に振り分けてしまう、という極めておおまかな分け方でしたが、有症率でいえば、尺脈が弱い群は83%、触れる群は26%であり、3倍以上の大きな差が認められました。これは素問・脈要精微論に記載された『左右の尺中を沈めてみて脈がないときは腎気の弱り』(3)ということに通じるものでしょう。腎気の弱りを反映すると思われる質問項目は
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スペース ・夜間尿2回以上あり
・昼でも近くて困るくらい
・尿の出が悪い(切れが悪い)
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の3項目のみでしたが、尺脈が弱でこれらの症状をもつ人には補腎剤を第一選択としても良い、ということになるでしょう。
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男女比ではA群(6:12)の男性がB群(3:12)の倍でしたが、その差は3人であり、この差と比較すれば、A群とB群の間の有症率は3倍以上という大きな差であり、また平均年齢はいずれの群にも差はなく、以上より、本実験では脈の違いだけが結果を左右したものと思われます。
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本実験においては、尺脈弱という漢方的所見だけで対象における尿症状の有無を予測しましたが、その適中率は83%の高率であり、尺脈は腎虚の症状を反映するとともに、これを未病と考えれば、脈診が未病の発見に寄与しうることも示唆されました。
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<参考文献>
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(1) 難経(新釈)、第十八難、たにぐち書店、小曽戸丈夫、2007、p74-80
(2) 脈診 基礎知識と実践ガイド、東洋学術出版社、何金森監修、山田勝則著、2007、p4
(3) 素問ハンドブック、医道の日本社、池田政一、2005、p85
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宮本 康嗣  
昭和45年3月 九州大学・理学部・化学科卒業(卒業後2年間研究生として残る)
昭和47年4月〜   ㈱津村順天堂(現ツムラ)・津村研究所研究員
昭和51年5月   在職中漢方に目覚め、漢方医を志して、同上・退職
昭和58年3月   福岡大学・医学部卒業
昭和58年6月   医師免許取得、福岡大学病院第一内科研修医
昭和60年4月   福岡大学医学部 薬理学教室助手
平成1年7月より
平成3年6月まで
  米国コロンビア大学セント・ルークス/ルーズベルト病院 リウマチ学研究室 研究員(エイズと漢方に関する臨床免疫学的研究に従事)
平成1年11月   福岡大学より医学博士号授与
平成3年7月   福岡大学医学部薬理学教室助手
平成5年4月   福岡大学病院第一内科兼務(助手)
東洋医学外来(現・東洋医学診療部)担当
(平成9年8月からは非常勤にて平成23年現在に至る)
平成9年7月   福岡大学・退職
平成9年8月   山口大学医学部生体防御機能学講座・助教授
山口大学医学部附属病院では漢方外来を担当
平成12年8月   同生体防御機能学講座(平成15年より漢方医学講座と改名)・教授(医学部での教育と研究、大学病院での漢方診療に携わる)
漢方診療において重要な腹診の科学化のため、デジタル漢方腹診計を5年がかりで開発、完成させ、臨床応用中
平成18年7月   山口大学・漢方医学講座を3期9年任期満了に伴い退職
平成23年現在   福岡大学病院・東洋医学診療部・客員教授
福岡県・誠愛リハビリテーション病院・漢方外来
熊本県・益城病院・漢方専門外来
山口県・尾中病院・漢方外来 を兼任
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