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| 近年、精神科領域においても薬物療法の進化には著しいものがあります。レセプターレベルの研究が進み、その多くはselectivity, specificityに特化した薬物で、雨後の竹の子の如く次々と発売されています。副作用が少なく、効果が確実であればこれに優るものはなく、多くの患者さんに福音をもたらし、また精神科医以外にとっても精神科薬物療法が容易になったともいえましょう。一方、時に耳にするのは精神科治療のvarianceの多様さについてです。多剤の組み合わせの複雑さや、投与薬や投与量のvariationの豊富さ、処方薬と適応病名の不整合、治療効果の評価の難解さなど、一般医家にとってはなはだ理解しにくいものがあるようです。 |
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| 翻って、医師により処方された薬が期待通り患者さんの口の中に入っているかというと、実はそうでもないことが分かっています。几帳面過ぎるほど飲み方にこだわる方や、頻繁に頓服薬を要求する患者さんがいる一方で、自分は病気ではないので薬など必要ないとして、いわば拒薬状態になることもしばしば経験しますし、「薬に依存してはいけない」とか、「薬を飲んでいる限りは病気がよくなったことにならない」、という考えを持つご家族や周囲の人も少なくありません。もちろん薬の飲み忘れ、用法の勘違いなどは認知症に限らず日常茶飯事であり、医師の思い通りに薬は飲まれていない、と考えた方が良さそうです。 |
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| 薬が必要ないと思うのであれば診察に来なければ良さそうなものですが、通院はきちんと続けている患者さんが少なくないのが不思議で、自から薬は飲んでいないと宣言する方もあれば、明らかに怠薬しているのが分かる場合もあります。診察時間の多くが、「薬を飲む、飲まない」のやりとりでさかれ、安心したように、あるいは怒って帰ってゆき、また2週間後にはきちんとやってきて同じやりとりを繰り返すのです。こういう方の病状がそれなりに落ちついていることもあり、私はこういう患者さんと接すると何故かほっとします。薬を飲んでも飲まなくても医療を求めてやってくる状態。一般診療科ならとっくに「もう来るな」と宣告されているかも知れません。 |
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| 漢方においては「証」を重視する、と漢方専門医の宮本康嗣君に聞いたことがあります。そして漢方の多くは「虚実」により選択され、自然治癒力に働き掛けるらしいということも吹き込まれました。実際、精神科にやってくる患者さんの中で心身症とか、不定愁訴とか、心気状態とかいう状態にある場合、漢方医に紹介する機会が増えてきました。精神疾患の原因は多次元であるといわれ、生物・心理・社会的モデルとして診断し治療を行うことが少なくありません。ここに漢方との接点があるのではないかと私は考えます。私どもの病院に漢方外来を開設して5年がたちました。手段は違っても、病苦に耳を傾け、共にあるという姿勢を示すことこそ医の本質ではないかと彼は語っているようです。 |
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